私たちのこと

YOKO-洋子のこと-
洋子は 地方の名門女子校をでて有名女子大を卒業後 当時の郵政省に席を置くこととなりました。同僚たちとも楽しくお付き合いを続け、やがて職場の先輩と親しい関係に。あるとき思い切って「結婚してください。」と話したとのこと「このまま仲のいい友達でいよう。」と しかし彼は洋子の親友のM美を選んだそうです。そんな時知り合いの紹介で私とお付き合いさせていただけることになりました。三高...高学歴・高収入・高身長...とは程遠い私ですが 「三平」(平均的な年収、平凡なまあまあの外見、平穏で優しい性格)で持てない男の特徴でもある 浮気をしない 安全な結婚相手として認めていただけたようでした。この出会いは正に奇跡的でした世間知らずのお嬢さんは、激しく拒絶しても強引に支配されてしまいます。初冬の人気のない高原で抵抗することもできず つづいて初めてのラブホテルで手足を縛られて無理矢理撮影されてしまいました。「キャーなにするんですか。」ポラロイドの音で部屋中に大きな悲鳴が響きました。もうこれで終わってしまうかも...。思いながら10枚ほど撮影させていただきました。心配していた次のデートも何事もなかったようにお会いでき 半年後めでたく結婚式を挙げる事に。夢のような日々 子供ができ生まれるまでを 嫌がる洋子に無理を言って写真に記録したのです。

原点
子供の頃 一冊の写真集に出会いました、美しいヌード human form でした。中村立行先生の作品集です 特に108ページ 最初のヌード作品に驚きました。私の母がお風呂上がりにいつもこんなふうに裸で椅子に腰掛けていました。高身長で手足が長く 少し太目ですが透き通る白い肌が輝いていました。水着写真はありますが 残念ながら ヌードを残すことはできませんでした。
二十歳代はヌードの撮影会に参加させていただいたり、自分でも温泉旅館にお願いして撮影会を開催したりしました。個人的にもモデルさんをお願いして、オリジナル制作に励みました。
洋子の初めてのヌードは ベッドに腰掛けて写しました。私にとって本当の「美しいヌード」の制作 第一歩が始まりました。



桃色吐息-熱い思い-
撮りだめた写真にストーリーを付けて 投稿誌に送ったところ しばらくしてトップページ 6ページで特集を組んでもらえました。妻に遠回しに話し見せたところ凄い反発を受けてしまったのです。夜になって謝りに行くともう寝ているようです。そっと抱きしめると「アー」と大きな声で喘ぐのです。膣からは白濁液がしたたり 挿入すると強力に締めつけて出し入れするたびピンクの粘膜がはりついてくるのです。膣内射精をすると子宮が痙攣し精液をほとんど飲み込んだようでした。放心状態の洋子を 一眼レフカメラ デジカメ ビデオカメラで思う存分に記録しました。その日から本格的に撮影させていただくことになります。「写真なんかダメです」といいながらも目隠しをして強く縛り上げると おとなしくなってしまいます。大きく足を開いて シャター音に白い蜜をしたたらせます。バイブやGスポットの刺激 男根の挿入では熱い桃色吐息を。フィルムスキャナ エプソントレインですごい枚数の写真と 八ミリビデオも段ボール一杯に 熱い思い--が積み上げられていきました。


霧の朝
今日は今年一番 濃い霧です 日の出前 軽くランニング頑張る。まだ薄暗い中 家を出ると商店街の ヤマボウシやハナミズキなど街路樹が街路灯に照らされて 霧に浮かぶ。歩道にはハナミヅキの落下した花が敷き詰められ お店を飾る ピンクのつるバラも見事なアーチに。目指すのは高台の公園 いつも合う散歩中のお年寄りご夫婦と「おはようございます」。暁の商店街を抜けて 地下道を通り国道を走る。オオキンケイギク ザボン草など歩道に咲く中 ほとんど霧で信号が見えず そのため車はみなゆっくり走っている。ドラッグストア 大型スーパーなどの前を軽快に走り抜ける。道を左に回り 住宅街に 人々は霧の中深い眠りについている。どの家も庭の手入れが行き届いて 赤 黄 白など見事にバラが微笑む 鮮やかなな紫陽花も。続いて登りがきつくなる農道を走る 周りの水田では水稲が勢いよく育つ。ここで少し寄り道 うちの畑で ブルーベリー や 桑の実が食べ頃 ほおばって 一気に公園に。もう周りに霧はない 南側 眼下に広がる白い雲海がスッポリと我が街を覆う。西には白く輝くアルプスの山並み そして北の山並みは晴れた空にくっきりと映る。

目を閉じると昔 学び舎から見た雄大な山並みがみえる 滝のように 落ちてくる豪快な逆さ霧がみえる。友と一緒に感激したのは もう遠い日の出来事。いつの日か懐かしい人々と再びあの景色に浸りたい すごくあの人たちに会いたい。

軽くストレッチをしていると 東の山裾がキラリと光り 朝焼けの東雲の空に 強烈な初夏の太陽が顔をだす。たちまち強い光が満ちあふれ 私を包む 瞬く間に雲海は消えていく 曙の街はいつもの喧噪の街に戻る。
さあもう帰りませんと 帰りはいつも違う道 私は回り道が好き 主婦の朝は大変なの。

この地方 濃い霧は風のない湿度の高い日 川霧の規模の大きなもの 年に数回発生します。

ふわちゃんのひまわり号
ふわちゃんは、とても元気な女の子です。好奇心が強くて 怖いお話とかジェットコースターのような乗り物が大好きでも...幼稚園の頃 小さかったので遊園地のお化け屋敷に入れてもらえなかったり、乗り物に乗れなかったりしたつらい思い出があります。
夏休みの一日 今日は 家族全員で千曲川の川遊びだよ。朝のうちは涼しかったけど、車から降りると 裸足の足が火傷するようです。お父さんと大きい兄さんは、軽トラから舟を降ろして 投網 小さい兄さんと私は手づかみでウグイやヤマベを採ります。お母さんは橋の下で本を読みながらみんなを見ているよ。八月になると鮎も大きく育ってキュウリの匂いがします。私と小さい兄さんで 川の石の周りを探ると面白いようにお魚が捕れるよ。お父さんたちもたくさん採れたみたい。お魚をクーラーボックスに入れて 今度は砂遊びだ 砂でお城を作ります。遊んでいたら お昼になってしまいました お母さんのおいしい特製弁当よ ジュースもお茶もあります。気温は高いけれど 川面を渡る風が心地良いの。お昼のお片付けをしていて「あっ 黄色いお皿が落ちている」ふわちゃん直径30センチくらいのまわりにギザギザのついたフラスチックのお皿をみつけたよ。思い切り投げるとおかしな軌跡で向こう岸まで飛んでいきます。大きいお兄さんとお父さんが向こう岸へいって、こちらへ返してきます。「これはひまわり号だ」ふわちゃん名前をつけます。投げ方によっていろんな飛び方をするし 風が強くなってさらに複雑な動きを見せるわ。「えい」大きいお兄さん 思い切り投げたとたん、高く舞い上がって後ろの草むらに入ってしまいました。さあ大変みんなでさがします「持って帰るんだから」ふわちゃんも探していると ポツンポツンと大粒の雨 すぐに降り出すと雷も鳴り出してしまうの。「早く帰らないと」川の水位は上流域での降水などで急激に上がります。「明日お父さんが探してみよう」家に着く頃はひどい雨になっていました。次の日も大雨は続いて川幅一杯の流れになっています。「もうひまわり号流されちゃたかな」ふわちゃんは悲しくなりまして。そしてその日の夕方 ふわちゃんを大事にしてくれた優しい大きいおばあさんが病気で亡くなってしまいました。おばあちゃんは心臓が悪かったのです ちょうど百歳でした。ふわちゃんは悲しいことが続いてしまいました。その日の夜 雨は上がって新月の夜空は満天の星空です、天の川の中をひまわり号に乗って上っていく大好きなおばあちゃんがふわちゃんに手を振っているのをはっきり見ました。

水着の跡が眩しい白い肌 ふわちゃんたくさんの楽しい思い出をありがとう。現在素敵な女性に育って 子供相手に先生をしているよ 長い黒髪をなびかせて颯爽と町を歩いています。アルバイトでモデルもしているよ 背が高く 色白で 切れ長の目をした売れないモデルがいたらふわちゃんかもね。

秋の歌
今信濃路は秋のまっただ中 急な冷え込みで一斉に高山帯から鮮やかな 紅葉が始まりました。つづいて軽井沢さらに小諸懐古園 次の週は上田城跡が鮮やかな錦秋を迎えます。
洋子との出会いも秋のまっただなか、文通しながら休日はデートです。以前車の中で洋子が急に「四季の歌」を歌ってくれました わたし秋が一番好き「秋を愛する人は 心深き人 愛を語るハイネのような 僕の恋人」歌詞に違和感がありますが私も秋は大好きです。ブドウ リンゴ クルミなど当地自慢の特産品 とてもおいしいです。特に今年はマツタケが豊作で たくさん採れています。八月の長雨のせいなのですが 落ち鮎はまったくだめでした。この地方では県外からのお客様で 道路もかなりの混み合いになっています。これからの晩秋 洋子はどんな顔を見せてくれるでしょうか。

洋子の詩集より

秋になると
急に日が短くなる
あの人の足みたいに
夏の半分ぐらいにしか感じない
秋になるとおなかがへる
そして 夏の倍ぐらいふとる...ああ

やっぱり秋です
もう冬みたい
秋ってどんなか忘れました
秋色に染まっていたのが少し前
いいえ そんな時はなくなって
足早に冬に向かっていく
そんな今年の秋

御嶽海関と雷電為右衛門
長野県の星 御嶽海こと大道 久司君 大関昇進おめでとうございます。長野出身の大関は2人目になります。早速「県民栄誉賞」をうけることになりました。
1742年 寛保2年、春から雨の多い年でした。旧暦7月27日夕方からの雨は豪雨となり、8月1日未明大きな山津波となり田中宿を襲います。この金原川の氾濫で田中宿は大きな被害を受けて、多くの人命 家屋など失われてしまいました。寛保2年が壬戌(みずのえいぬ)の年にあたるため、被害の大きかった千曲川流域では「戌の満水」と呼ばれています。田中宿 瑠璃殿 薬師堂の石造りの仁王様も阿形像が流されています。
それから20年ほどして、ようやく田中宿も復興し宿場町の機能を果たせるようになった頃のことです。若く美しい女性が、新しい瑠璃殿 薬師堂前 残された金剛力士像 吽形の前にたたずんでいました。名は「おけん」大石村(現在滋野) へ嫁いでお産のため祢津村新屋の実家へ里帰りしていました。彼女は仁王様に願をかけます「強い男の子をお授けください、もしも願いが叶えられましたら流されたもう一体の仁王様を奉納します。」と
果たせるかな1767年(明和4年)1月2日、元気な男の子が産まれました。父の関半右衛門は、大変な喜びようで「太郎吉」と命名します。太郎吉はすくすく育ち、たちまち優れた素質を表します母はそれをあまり嬉しく思っていませんでした。父親は草相撲の大関で、地方の相撲大会でいつも山のような賞品をとってくるのですが、けんか好きで心を痛めていたのです。お酒も大好きだった父の関半右衛門は、けんかが元で体を悪くしてしまいます。家計を助けるために幼い太郎吉は、馬で庄屋様や村人から預かった繭などの荷物を高崎まで運ぶ仕事をして働きます。そして運命は突然やってきます、馬に荷物を積んで碓氷峠の中程にさしかかったときです。狭い山道で加賀の殿様の行列に出くわしてしまいます。よけるわけにもいかないので、馬もろとも持ち上げるや天にかざして行列をよけます。あまりの重さに気が遠くなりそうな太郎吉を、不思議な仁王様が現れて力を貸してくれるのですがどうしてなのかわかりませんでした。この話はたちまち知れ渡り、信濃に怪童あり!と有名になります。太郎吉はこの地方では有名な、石尊の辻道場(長瀬村)に15才で入門、ここで2年間学んだ後 力士としての本格的な修行をします。やがて江戸の浦風部屋に。そこで谷風に認められて24才 関脇として初土俵を踏みます。今ですと身長2.1メートル体重168.8キロと恵まれた体で、冬場所優勝を飾ります。以後45才で引退するまで10敗しかしていません。大関に昇進した後田中瑠璃殿にもう一体の仁王様(阿形)を奉納しています。この仁王様は真っ赤でとてもユーモラスな顔をなさっています。海野宿 白鳥神社にも関係が深く、引退後も奉納相撲を行ったり土俵 鼓櫓など寄進しています。お酒が大好きだった父親のために、酒樽の形をしたお墓を建てたり、自分の生家を土俵や桟敷席のある家に建て替えたりもしています。旧北国街道牧屋地区に、佐久間象山撰文ならびに書による「力士雷電之碑」が建っています。僅かな空地に2つの碑があり、1つは南面(新碑) し、1つは西面(旧碑)しています。以前は、この碑片を欠き取って身につけていたり粉にして飲むと強くなるなど迷信が生まれました。そのた め、欠いて持ち去る者が多く、碑文が読めなくなったので新しい碑が建てられました。雷電顕彰碑 雷電生家ともに是非お立ち寄りください。強いばかりでなく、頭もよくて心の優しい力士雷電は郷土の誇りです。御嶽海関に大いに期待しています。頑張れと。

つまらないお話でした

続く
Published by kennagano4809
4 years ago
Comments
5
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rosejj 3 years ago
素敵なお話ですね。続きを是非拝見したいと思います。
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momochiLove 3 years ago
素敵な文章です。続編を早く読みたいですね。
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okemo 3 years ago
続編期待してます。よろしくお願いします。
Reply
oppekeotanko 3 years ago
読ませていただきました。ありがとうございます。
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fun_fun_jp
fun_fun_jp 3 years ago
ありがとうございます。続きが早く読みたいです。
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